北海道旅行(2日目)函館朝市でお買い物をしたあと函館から札幌に移動する途中で昭和新山に立ち寄りました。赤茶けた山肌からは噴煙が立ち上り今にも噴火しそうですがガイドさんの説明だと年々噴煙は少なくなっているそうです。

歴史
1910年(明治43年)の有珠山噴火により、8月1日以降山麓に側火山となる明治新山(明治43年に隆起したことから四十三山と命名された)が誕生する。群発地震が多発し、住民に避難が指示されたが、当時は壮瞥郵便局の局長代理を務めていた三松正夫には通信確保のため退避の許可が下りず、地面に畳を敷いて徹夜で勤務していた。
1943年(昭和18年)12月末の有感地震を契機に、有珠山麓の麦畑から突如として溶岩ドーム(昭和新山)が隆起し始めた。翌年初頭から翌々年まで続いたこの山が産まれるプロセスを、三松は私的に定点観測を続ける。その手法は地震の回数を皿に置いた豆で記録、台に顎を乗せ視点を固定し、水平に張った糸で日々の形状の変化を計測するという独創的なハンドトレスの手法で作成された。この図はのちに「ミマツダイヤグラム」と命名され、世界でも貴重な火山活動の記録となった。

参考資料より参照

有珠山からは今も噴煙が上がっている

ユーチューブで動画が観られます。画像をクリックしてください。
昭和新山(有珠郡壮瞥町)


三松正夫が愛した昭和新山に観測機器を構える様にして像が建立されている
上空にはロープウェイが!
ロープウェイからは洞爺湖や有珠山の景色が望める