朝、ミラノ中央駅周辺のホテルを出発して当初予定には無かったスフォルツェスコ城ですが「せっかくミラノに来たのだから少しだけでも見ていってください」とガイドさんのご好意で急きょ下車観光となりました。この城は、1辺が約200mの長い城壁に囲まれていて正面には噴水があり、内部は豪華なフレスコ画が飾られた部屋が続いています。右側には、美術館の入口があり古代ローマ、エジプト美術、古代楽器、陶器、写真資料、絵画、彫刻、コインといった多岐にわたる分野の博物館となっていて、ミケランジェロの傑作「ロンダリーニのピエタ」をはじめ数多い収蔵品が展示されています。

(歴史)
ミラノのルネッサンス期最大の宮殿でかつての領主、ヴィスコンティ家の城跡にフランチェスコ・スフォルツァ公爵の命により、1450年に城兼要塞として建てられた。15世紀には、イタリア各地から芸術家達を集め、この宮殿で様々な技を競ったという。その後、フランス軍、スペイン軍の攻撃に遭い、1766年のナポレオンの到来までの間に城はより強固な城塞となった。18世紀後半、建築家ルカ・ベルトラミによって修復され現在に至る。

レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「最後の晩餐」があることで有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ミラノにおけるルネッサンスを代表する建造物のひとつである。赤レンガと大理石を多用した建物は、ゴシック様式の正面に続いてブラマンテにより15世紀にクーポラなどが付け加えられ、より華麗で軽やかなた佇まいとなった。アーチを描く柱廊が囲む中庭も必見です。

4月上旬の朝9:00ごろの時間帯と教会建物の日陰で少し肌寒いなか入場の順番を待つ皆さん。ちなみに「最後の晩餐」への入場は完全予約制で教会側から時間を指定され、1回の入場人数も10人ぐらいと参加者も2組に別れ厳重な扉(鉄格子2ヶ所)を通過してやっとたどり着きました。
※ 車椅子での入場は建物の横から通路を抜けて1ヶ所目の鉄格子前(通路沿い)で約30分ほど待機されられました。

この絵は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の向かって左側にある旧ドメニコ派修道院の食堂にある。レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノ滞在中の1495年〜1497年の間に描いたものである。従来のフレスコ画と異なる手法を用いたため、完成間もなくから痛み始め、ナポレオンの時代には食堂は馬屋に使われ、1943年には戦争による爆撃も受けて教会も破壊されたが奇跡的に「最後の晩餐」だけは残ったそうです。ただし、ひび割れや湿気による変色など保存状態は悪く、国の認定を得た修復師たちが長い年月をかけて修復しました。実際に見た感想は巧みな空間構成、神秘的な光線、人々の控え目な表情など、彼の天才ぶりを余すことなく伝える作品だと感じました。
壁面の高みいっぱいに描かれたこの作品は、キリストが12人の弟子に向かって、自分を裏切る弟子の存在について語っている姿と言われている。銀貨30枚でキリストを売ったユダ(キリストから左に3人目の青い服を着た人物)。手には袋を持ち、顔には光が当たらないよう(日焼したよう)に描かれている。
教会内は撮影禁止のため上記の写真はポストカードを使用しています