高野山 奥の院A
奥の院への参拝はバス駐車場や観光案内所がある「中の橋」からスタート。実際の「中の橋」は観光案内所より手前にある。ここからガイドさんの説明で車椅子でも見学できるバリアフリーコースを選んで案内していただきました。ここでは大名と家族の墓を巡ってきました。

「一の橋、中の橋」どちらのルートからも合流した地点から見学スタート!

ユーチューブで動画が観られます。画像をクリックしてください。
高野山 奥の院B


崇源院(徳川秀忠夫人)墓所 (江)
すうげんいん(とくがわひでただふじん)(ごう)
浅井長政の3女であり2代将軍秀忠の妻である江の石碑。
石碑には江の戒名である崇源院殿(すうげんいんでん)と刻まれている。
江の石碑(ごうのせきひ)
「一番石」「一番碑」と呼ばれ、高さ6.6m。一番下の基段石は畳8帖ぶんの大きさ。奥の院で最も大きい五輪塔。
この碑は1627年(寛永4年)、江の1周忌に建てたもので建てたのは弟の忠長。
前田利長(まえだとしなが)五輪塔
「3番石」または「3番碑」と呼ばれ、奥の院で3番目に大きな五輪塔。
奥の院で最も大きい一番碑が江、二番碑が振姫(ふりひめ)で3番目に前田利長で男性の墓となります。
前田利長夫人の墓地
三番碑に向い合う様に立っているのが前田利長の妻栄姫(えいひめ)織田信長の5女。
参道でガイドさんから前田利長の墓地の説明を聞く参加者の皆さん。
法然上人 円光大師 供養塔(えんこうだいし くようとう)
浄土宗の開祖、法然。 圓光大師とも表記されている。
「円光」とは法然の死後につけられた名前で諡号(しごう)。
越前 結城秀康 霊屋
(えちぜん ゆうきひでやす れいおく)
結城秀康(家康次男)石碑の表示は重要文化財。右側が徳川家康の次男 徳川秀康(松平秀康)。
左側が母親であるお方の万。越前から運ばれた笏谷石(しゃくだにいし)で作られていて
当初は極彩色だったと言われている。中には総金箔の石塔が入っていると伝えられている。
豊臣家の墓地は30段の階段を上った所にある
豊臣家 墓所
中央の大きなものが秀吉の墓で1940年(昭和15年)に奉行会という秀吉を信奉する人達によって建立。
墓の中には、秀吉の衣冠束帯(正装した姿)の木造が納められているという言い伝えがある
織田信長(おだのぶなが)・筒井順慶(つついじゅんけい)墓地
信長の墓地は全国に20ヶ所以上あるそうです。
謀反を起こした明智光秀の墓からは1qほど離れています。