雷門(かみなりもん)
浅草の代表的な観光地である雷門。
浅草寺の正面入口、最初の門は平公雅によって浅草寺の総門として942年(天慶5)に建てられた。江戸時代には3度の火災によって焼失した。最初は1642年(寛永19)、1649年(慶安2)徳川家光によって建てられた門は右に「風神」左に「雷神」を安置してあるところから正しくは「風雷神門」、略して雷門と呼ばれた。2度目は1767年(明和4)、3度目は1865年(慶応元)の火災に遭って以来、昭和35年再建されるまで、95年間のあいだ雷門は幻の存在だったことになります。
現在の雷門は鉄筋コンクリート製で、松下電器の松下幸之助氏の寄進で、昔の姿そのままに再建されています。

参考資料より参照

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雷門・仲見世(浅草)

仲見世(なかみせ)
雷門から宝蔵門までの表参道の東側に54店、西側に35店、合計89店舗があり長さ250mの鉄筋コンクリート・朱塗りの電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映え美しい商店街を仲見世といいます。雷門をくぐった海外からの観光客からも見事な日本情緒に思わずワンダフル『wonderful』という言葉を多く聞くことがありました。

宝物殿(ほうぶつでん)
当初は仁王を納めていたところから仁王門と言われ、平安時代の中期から建てられていたと伝えられる。1649年(慶安2年)に家光によって、本堂などと共に木造では最後の楼門が建築されました。
昭和20年(1945年)の空爆で本堂と共に焼失しましたが、ホテルニューオータニの創業者、大谷米太郎氏の寄進で再建されたのは昭和39年(1964年)です。浅草寺の宝物の収蔵庫になっているため宝蔵門の名前がついています。門全体の大きさは、高さ:22.7m、間口:21m、奥行き:8m。

参考資料より参照

宝物門の北面の両側に大わらじがかけられている。宝蔵門に安置されている仁王像は彫刻家村岡久作(右の吽形像)で柏戸新観両氏が大相撲力士をモデルに制作したものだそうです。

宝物門の大わらじの大きさは、長さ4.5m、巾1.5m、重さ500kgもある大きさです。この大わらじは村岡氏の出身地である山形県村山市の「奉納会」から奉納されたものです。

五重の塔
当初の五重塔は942年(天慶5)に平公雅によって本堂の東南側に建てられた。その後、何度かの火災による焼失の後、1648年(慶安元)に徳川家光が再建したが、これも昭和20年(1945年)の戦火で再び焼失、昭和48年(1973年)に参道を挟んで反対側、本堂の西南側に再建された。
地上からの高さ:53.32m(塔の高さ:48.32m、うち九輪部分15.07m)。
最上階の五層にはスリランカ伝来の仏舎利が納められてる。この仏舎利は日本の関係者の尽力とスリランカ(当時はセイロン)政府及び仏教界の好意により、古都アヌダラプタのイスルムニヤ寺院から贈呈されたものです。

参考資料より参照