ひめゆりの塔にまで行く途中左側にある女学生像。のちに悲惨な最期を遂げた学生たちのために建てられました。
大戦中、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒と教師で編成されたひめゆり学徒隊。看護要員として陸軍病院に動員されたが、米軍の侵攻で戦死あるいは自決を余儀無くされました。ひめゆりの塔は、そんな15歳から19歳という若さで尊い命を落とした219柱の戦没者を祀っています。 いつ来ても参拝する人の献花が途絶えることはありません。
時代は変わり、今ではひめゆりの塔のある第三外科壕は観光地となり、観光客でにぎわっている。
ひめゆり学徒隊のたどった運命が記されている石碑。
資料館に入ってすぐに年表がある。これは、ひめゆり学徒の犠牲の事実を展示する前に、戦争を引き起こした背景から伝えようとするものである。当時の徹底した皇民化教育が悲劇の根底にあったことがわかる。
また資料館ではひめゆり学徒の生存者が展示の説明、体験などを語っている。
我々が訪れたとき偶然にもその生存者の悲惨な体験話を聞くことができた。