最後に訪れた地は、沖縄の戦跡の中でも世界中から訪れる人数がもっとも多いひめゆりの塔へ行きました。私たちが訪れた日にも日本人はもちろんのこと外国人を多く見かけました。
現在、「ひめゆりの塔」が建っているガマは、陸軍病院第三外科が撤退後に入っていた壕で「伊原第三外科壕」と呼ばれています。ここには、ひめゆり学徒を含む陸軍病院関係者、通信兵、住民などおよそ100名がいました。解散命令後の6月19日早朝、米軍のガス弾攻撃を受け、80名あまりが亡くなりました。
参考資料より
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ひめゆりの塔(糸満市)
壕の真上に、犠牲者の名を刻んだ慰霊碑(納骨堂)があり、正面右の小さな碑が「ひめゆりの塔」です。
ガマの左前には、ここがかつて「沖縄陸軍病院第三外科壕跡」。
今もぽっかりと口を開いているガマ壕。この中で100名のうち80人の方が「もがき苦しみ亡くなっていった」。
ひめゆりの塔前で第2次世界大戦で、この地でどんな悲劇があったのかガイドさんから説明を聞く参加者の皆さん。
ひめゆり平和祈念資料館
私は「ひめゆりの塔」を訪れたのは今回で3回目です。この美しい沖縄の地で太平洋戦争があり、どんな悲惨な事があったのか若い世代の人たちには是非来館してほしいと思います。
この資料館は、1989年6月、財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会によって建設されました。
入館料は(大人)310円、(高校生)210円、(小人)110円
※ 障害者とその介護者各1名は無料です。入館の際に障害者手帳等をご提示ください。車椅子の貸出しをしていますので、ご希望の方は事前にご連絡ください。