平成17年に開館した「大和ミュージアム」を見学したくて呉を訪れました。ここは第2次世界大戦に日本艦隊最大級の戦艦「大和」が造船された場所としても有名です。
開館時間は(休館日の火曜を除く)9:00〜18:00

区 分 個人料金 団体料金
一般(大学生以上) 500円 400円
高校生 300円 300円
小・中学生 200円 100円

全額免除
・呉市内の在住在学の高校生以下 ・呉市敬老優待証をお持ちの方 ・障害者手帳をお持ちの方・被曝者手帳をお持ちの方
・戦傷病者手帳をお持ちの方 ・小中高校等の学校行事の引率者 ・20名以上の団体引率者(添乗員)等となっております。

正面エントランス前には大きな碇や戦艦「陸奥」の主砲身、スクリュー、主舵などの引揚品が展示されている。

大和波止場
大和ミュージアム館内に入る前に大和ミュージアム海側の大和波止場を散策しました。大和波止場は、実物大の戦艦「大和」をイメージした公園になっています。かつて大和を建造した造船所や行き交ういろいろな船を見ることができます。

上記の黄色い部分が大和波止場の先端から左前方部半分に位置されています。写真を見比べると大和がどれだけ大きいか改めて実感させられます。

戦艦大和の性能、武装
満載排水量 7万2809トン
公試排水量 6万9100トン
全長 263メートル、垂線間長244メートル、吃水線長256メートル
最大幅 38.9メートル、吃水線幅36.9メートル
吃水 前部10.4メートル、後部10.4メートル
最大速力 27.46ノット
航続距離 7200海里(16ノット)
主砲 46センチ3連装砲塔3基(9門)、45口径、最大仰角45度、最大射程4万メートル
副砲 15.5センチ3連装砲塔4基(12門)、55口径、最大仰角55度
高角砲 12.7センチ2連装6基(12門)
探照灯 150センチメートル8基(探照距離8000メートル)
機銃 25ミリ3連装8基(24門)、13ミリ連装2基(4門)
馬力 軸馬力前進15万馬力、後進4万5000馬力
カタパルト 2基、搭載航空機7機(水上偵察機3機、水上観測機4機)
測距儀 艦橋15メートル1基、主砲塔15メートル3基、後部指揮所10メートル1基、副砲塔8メートル4基
機関 艦政本部式蒸気タービン4基4軸、回転数225(毎分)、蒸気圧力25kg/平方センチメートル、蒸気温度325度
推進器 3枚翼、直径5メートル、21.7t
費用 当時1億4287万円(現在に換算すると約2604億762万円、大和一隻分の費用で東海道新幹線全線が完成できる)
燃料搭載量 満載搭載量6400トン(駆逐艦3隻分の重さ!)
内火艇 水雷艇2隻、将官艇1隻、11メートル内火艇1隻、12メートルランチ4隻、8メートルランチ1隻、9メートルカッター4隻
乗組員 2800人

戦艦「大和」は、艦隊決戦の切り札となるべく、昭和12年11月4日に呉海軍工廠において起工された。大和は対米英開戦直後の昭和16年12月16日に海軍に引き渡されて竣工、第一戦隊に編入された。昭和17年2月には、これまで12年間にわたり連合艦隊の旗艦を務めた「長門」から旗艦の地位を譲り受け山本五十六長官の将旗を掲げる事となった。
太平洋戦争が始まり、日本は破竹の進撃を続けたわけであるが、その間大和は瀬戸内海の柱島基地において訓練に励んでいた。その後太平洋戦争の天王山とも呼ばれるミッドウェイ海戦に参加した。昭和17年6月5日に海戦が始まったが、南雲艦隊は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻の航空母艦を失い、大敗北となった。その時大和は戦場から300海里も離れており、応援のすべもなく、柱島基地に帰投した。
昭和18年8月、戦場はソロモン海域に移り、大和も南方戦線の最大拠点であるトラック島に進出した。その後戦局は悪化していき、昭和18年2月に大和は旗艦の座を二号艦の「武蔵」に譲ることとなった。その間大和はトラック島と日本を何度か往復したが、出撃の機会は訪れなかった。昭和18年12月に大和は米潜水艦スケートの雷撃を受け、魚雷1本が右舷に命中、初めて損傷を被り、呉海軍工廠にて修理と共に高角砲、機銃の増設等の改装工事が行われた。
修理を終えた大和はリンガ泊地に進出し、米軍のサイパン侵攻に備えた。そして昭和19年6月11日から米機動部隊によるサイパン空襲が行われたことから救援に行き、昭和19年6月19日、マリアナ沖海戦となる。この時初めて大和の主砲は実戦で火を噴いたのである。目標は敵艦船ではなく、敵艦載機で27発(3斉射)を撃ったにすぎなかった。その後大和は、昭和19年10月23日のレイテ沖海戦に参加した。24日大和はシブヤン海域において米艦載機の攻撃を受け、主砲31発を発射するが、爆弾一発が命中した。翌25日、サマール沖で偶然敵護衛空母艦隊に出くわし、敵空母に向かって3式通常弾24発、徹甲弾100発の主砲を発射し、敵空母に損傷を与えた。これが水上艦船に対する最初で最後の大和の主砲攻撃となった。この海戦において日本海軍は「武蔵」他多数の艦船を失い、連合艦隊は事実上壊滅した。
大和はその後日本に戻ったが、昭和20年4月1日に米軍が沖縄上陸した事から水上特攻部隊として出撃し、生還を望まない攻撃に出発した。大和は昭和20年4月6日に出撃したが、翌7日に米艦載機386機による波状攻撃を受け、爆弾6発、魚雷10本以上を受け、午後2時23分、九州坊ノ岬沖90海里の地点で2498名の乗組員と共に海底深く沈没したのである。この時の主砲は27発しか発射されなかった。

参考資料より

写真中央の三角屋根のドックでは船体を隠すように戦艦「大和」が極秘に造られていました。

館内は駐車場を含め、大和ミュージアム内は全てバリアフリーで各階へもエレベータ、スロープが完備されています。また、ベビーベッドやオストメイト対応トイレなども設置されているので長時間の見学も安心です。
また貸し出し用の車椅子7台とベビーカー4台が用意してあるので利用をご希望される方は、受付へ申し込んでください。

全長26.3mもある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現しました。この10分の1戦艦「大和」は大和ミュージアムのシンボルとして平和の大切さと科学技術のすばらしさを後世に語り継いでいます。

階段を下りていくと大和のスクリューや方向舵など普段では見れない構造が確認できます。
車椅子の方は、昇降リフトで車椅子のまま降り大和底部を下から見上げる様に周囲を見学できます

ミュージアム3階から大和の上部全景を見下ろした写真です。