へネラリーフェ庭園
セ―ロ・デル・ソル(太陽の丘)に造られていた庭園のうち、今日まで残ったのはへネラリーフェだけである。そこはグラナダの王が宮廷の雑務からのがれて憩いの時を過ごすための別邸だった。アルハンブラ宮殿に近いため、宮廷の活動の場から非常に近いところにいて、緊急事態には速やかに対応できることを示すというメリットがありながらも、自然とじっくり触れ合うのに必要な距離を保つことができた。

根がまっすぐ下に伸びるため、墳墓に根がからむことのない糸杉は、ロマン主義以降、特に「墓地の樹」として知られ、イスラム教徒の間でも、この実用的理由から、この木が利用された。糸杉は地中深くまで水を探して根を伸ばす針葉樹で、近くの同種の木と繋がりながら常縁の植物の壁を形成している。

劇場の周りは緑でおおわれコンクリートの水路と一体化していて自然美がある庭園。

野外劇場
1952年、古い農作業用の建物の後に造られたこの劇場は、グラナダ音楽祭の舞踊にうってつけの舞台である。他のアーティストに混じってあのマーゴ・フォンテーヌが踊ったのもこの舞台だった。

劇場から階段5段を上がると「下の庭園」に行くことができる。この場所は昔の果樹園だったが1931年に植林をして造られた。

現在の庭園の造園は、フランシスコ・プリエト・モレ―ノ氏の指揮で1931年に始まり1951年に完成した。中世の庭の面影は全くないとはいえ、当時、何の評価もされなかった場所を立派な庭園に生まれ変わらせた。中央に伸びた池は、多くのイスラム式庭園に典型的な十字型の配置を連想させる。

庭園の下は遊歩道になっていてベンチに座ってアルハンブラ宮殿を一望することができる。

へネラリーフェ庭園側から観た世界遺産のアルハンブラ宮殿を背景に満面の笑顔で記念一枚。皆さん長旅の疲れもなくスペインを満喫されています。