小京都 角館
角館は、秋田県仙北市仙北平野の北部に位置する城下町です。
玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれたこの町は、歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい、まさに「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所です。

角館の今に続く町並みをつくったのは芦名(あしな)氏で1620年(元和6年)のことでした。町は「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」に、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に区分されました。
このかつての町割りが390年あまりたった今でもほぼ変わらず残っています。

「内町(うちまち)」は、築200年近い屋敷が建ち並び黒板塀に垂れ下がるしだれ桜が続きます。
この武家屋敷群の表通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており文化財として保護されています。

「外町(とまち)」は、「内町(うちまち)」と対照的にびっしりと商家などの町並みが続き、歴史を感じさせます。古い建物や土蔵も数多く残り、町の人はこの空間を大切にしながら店舗やレストランなどに活かしています。

角館の枝垂れ桜
武家屋敷の塀沿いに咲くしだれ桜。毎年、桜の開花時期になると全国から大勢の観光客が訪れ賑わっています。
その歴史は古く、今からおよそ320年前の藩政時代にさかのぼります。角館佐竹家の二代目、義明の妻がお輿入れの際に京都三条西家から持ってきた嫁入り道具の中にあった3本の桜の苗木。それが元になり長い年月を受け継がれ、今日まで残る「角館の枝垂れ桜」になったと伝えられています。現在450本ほどある枝垂れ桜の中で、152本が国の天然記念物に指定されています。

実は桜には「シダレザクラ」という品種はありません。「エドヒガンザクラ」がしだれになったもの、つまり、本来上に向かうはずの枝が下に垂れてしまったものだとされています。枝先の細胞分裂が早く進むことで先端部分の重みが増し、そのため自然に下に枝が向いてしまったと考えられているようです。武家屋敷通りの桜並木の90%以上が、この「エドヒガンザクラ」の変種である枝垂れ桜です。

参考資料より

秋田県指定文化財(母屋・門・蔵)の青柳家⇒「隠し剣鬼の爪」撮影場所
もともと芦名(あしな)氏の家臣団の優力な武将でしたが、芦名氏が絶えた後は佐竹北家(さたけきたけ)に仕えました。
屋敷は広く敷地の入口に薬医門、道沿いには武者窓とよばれるのぞき窓のついた造りになっています。
敷地内の展示館は、代々伝えられた武具や美術品などの公開施設になっています。

仙北市指定文化財の石黒家
佐竹北家に仕え、財政関係の役職についていた家柄です。
茅葺き屋根の母屋とのぞき窓のついた黒板塀、正玄関と脇玄関を備えて武家の高い格式を示しながら簡素なただずまいとなっています。
現存する角館の武家屋敷の中で格式が一番高い家柄の屋敷です。

今回は代表的な二家を紹介しましたが、
その他にも
仙北市指定文化財の岩橋家⇒「たそがれ清兵衛」撮影場所
芦名氏の重臣で、芦名氏が絶えた後は佐竹北家に仕えた家柄です。
屋敷は江戸時代末期に改造、屋根も茅葺きから木羽葺きに変えられ現在の形になりました。角館の中級武士の屋敷として、間取りなどに典型的な形を残しています。樹齢300年以上の柏の木がこの家のシンボルです。

仙北市指定文化財の小野田家
今宮氏の配下から佐竹北家の家臣となった家柄です。
もともと武術によって仕えていたため、かつては門を入った右側に道場がありました。
伝統的な庭園が特徴の中級武士の屋敷です。

小野崎家
武家屋敷通りの最北に位置し、その屋敷の形態からも当時の上級武士であったことが明らかにされています。子孫の所有する屋敷間取り図をもとに平成12年に復元されました。
現在は公民館、武道館として活用されています。

仙北市指定文化財の河原田家
芦名氏の会津時代からの譜代の家柄で、後に佐竹北家に仕えました。
屋敷は江戸時代の武家屋敷建築様式をそのまま受け継いでおり、表座敷にはこの地方の書院作りの様式が残されています。

秋田県指定文化財の松本家⇒「たそがれ清兵衛」撮影場所
今宮家組下の家柄で、佐竹氏国替えとともに秋田へやってきました。
柴垣で囲まれた屋敷は小さな建物ですが、茅葺き屋根に武家の面影を残しています。現在は春から秋にかけてイタヤ細工の実演が行われています。

参考資料より